更新日:2008年11月5日
Vol.270:有年史跡めぐり(赤穂市)
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今も残る往時の風情

 赤穂市の北部に位置する有年(うね)地区。古墳や遺跡があり、市内で最も古くから集落があった所として知られる。かつて山陽道沿いの町としてもにぎわったという同地区の史跡を訪ねた。
 JR有年駅から、西へ歩いて40分。千種川を渡り、国道2号から1本南に入った道は江戸時代、参勤交代に使われた山陽道。「沿道の家は昔は旅籠(はたご)で、今も屋号で呼び合っているよ」と通りすがりの男性が教えてくれた。さらに進むと有年宿番所跡(写真1)。現在は空き地になっている。番所では藩の役人が取り調べをしたり、通行人を監視した。寛永(1624−43)のころ、「宿」が西有年から東有年へ移された際に、番所も移動した。『播磨の街道』(橘川真一著)によると、当時は千種川が洪水でたびたび川止めになった。宿場として川の状況を早く知る必要があったため、「西」から川に近い「東」へ移ったという。
 そこから国道2号を北へ渡り、八幡神社へ向かった。江戸中期の1744年に建立されたという鳥居をくぐり、階段から続く急な坂道を5分歩くと急に視界が開け、斜面の上に高さ約3メートルの木造の灯篭(とうろう)が立っていた。灯篭のそばから千種川の流れを眺めることができる(写真2)。この灯篭は、川を往来する高瀬舟が目印にしていた。赤穂市教育委員会によると、設置された時期は定かではないが、明治10(1877)年に同神社に奉納された絵馬にはその姿が描かれている。神社からさらに登ると、標高200メートルほどの山頂に南北朝時代の武将、赤松円心の家臣、富田右京が城主を務めた有年山城の跡がある。
地図 八幡神社から北へ5分ほどで、赤穂市指定有形文化財の有年(ありとし)家長屋門(写真3)。有年家は江戸時代の大庄屋。門といっても馬屋や門番の部屋なども付いており「長屋」と呼ばれた。幅約10メートル、奥行き約5メートル。18世紀末の建築。中は住宅で入ることはできないが、石垣と白い漆喰(しっくい)の塀が長い年月を感じさせる。
 長屋門から歩いて25分。山沿いの街道わきで石造宝篋(ほうきょう)印塔(写真4)を見つけた。花崗岩(かこうがん)製。高さ1.15メートル。刻まれた梵字(ぼんじ)から鎌倉末期から南北朝時代のものと見られ、地元の有力者が供養などのために建立したと考えられている。

※この記事は、朝日新聞読者にお届けしている「あいあいAI 」(播州)に
掲載されたものの転載です。

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