

多可町八千代区に野間山城(のまさんじょう)跡を訪ねた。南北朝時代から戦国時代の終わりにかけて約220年間、一帯を支配した有力領主・在田氏の軍事上の拠点だったといわれる。急な野間山(標高329メートル)山上の城で、今では石垣しか残っていない。山の南側一帯には照葉樹林の群落があり、地元の人たちからは「城山」と呼ばれて親しまれている。
山の東側、野間川にかかる俵田橋の横から登り始めた。想像していた通りの急坂だが、地元のボランティアによって整備された道は階段になっていて(写真1)歩きやすい。30分も登ると、傾斜が緩やかになり、歩きやすくなってくる。さらに15分歩いて、城跡の本丸敷に到着した。登山道は、登り口にある看板以外、目立った標識はないが、一本道なので迷うことはない。
頂上は平らになっていた。木は少ない。正月に、初日の出を見に登る人もいるそうなので、眺望を楽しみにしていたが、取材した日はあいにくの悪天候。霧に包まれて周りの景色を見ることはできなかった。
約2時間ほどの登山だけでは歩き足らず、野間山を下り、山沿いに南へ約15分歩いて、天台宗の極楽寺(写真2。後ろは野間山)へ足を延ばした。
651年に開かれた同寺は、野間山城が落城したとき、同時に焼けたと言われる。建て直されたものの本堂は再び1876年に焼失。しかし、寺には国の重要文化財「六道絵」など掛け軸が多く残されている。
これらの掛け軸は、有力な後ろだてがなければ持つことができない。それが在田氏ではないかと言われているが「はっきりしたことはわかっていません」と住職の大塚貫哲さん(37)。
1992年に屋根裏から新たに大きな掛け軸が発見された。現在、県立歴史博物館で調査中という。
寺の本堂跡は休憩所。コケや青々としたモミジが見られ、ほっと一息つくことができた。そばにある池の真ん中には弁財天が祭られた祠(ほこら)があり、モリアオガエルが卵を産んでいた(写真3)。
同寺の裏から野間山城跡へ登る道もある。谷を登る「つづらおれ」になっており、今は登る人はほとんどいないという。
■極楽寺(0795・37・0214)。「六道絵」は毎年11月3日だけ公開している。