久しぶりに淡路島へ行った。洲本市の三熊山上で瀬戸内海の眺望が楽しめる史跡・洲本城を見学、そのふもとの市立淡路文化史料館にも立ち寄った。
城は標高133メートルの三熊山頂にある。昔の遺構は石垣だけ。三層の天守閣は1928年に造られ、今は展望台になっている(写真1)。
石垣は主に自然石や加工しない割り石を使った穴太積(あのうづみ)で築かれている。石垣に沿って本丸を目指すと、幅6メートル前後の本丸大石段(写真2)が登場。本丸の西と南を囲む石垣には小さな階段があり、その上部は武者走りと呼ばれる。南の武者走りからは下を見下ろすことができ、見張り役の武者気分が味わえた。
天守閣は本丸の北西にある階段を上がって左。内部は土足で上がることができる。展望台からは、北は洲本の町並みや瀬戸内海、南は山々の風景が美しい。
洲本城は16世紀前半に淡路に進出した紀州熊野水軍の安宅(あたぎ)一族が三熊山上に築城したのが最初。1585年から24年間城主を務めた脇坂安治が現在の形に仕上げた。
脇坂氏の後、藤堂高虎、池田輝政の三男・忠雄へとかわっていく。後に池田氏は統治の拠点を淡路北端の岩屋城に移し山上の洲本城は使用されなくなった。池田氏は次に南東の由良城へ。由良城は1615年に大坂夏の陣の軍功として淡路一国を加増された阿波藩主・蜂須賀至鎮(よししげ)が引き継いだ。
蜂須賀氏は1631年頃から約4年をかけ、城下町の機能を洲本へ移した。脇坂氏時代の居館だった三熊山麓(さんろく)を洲本城として整備。蜂須賀家筆頭家老の稲田氏が明治維新まで城代を務めた。稲田氏は、淡路が徳島から兵庫県に編入されるきっかけともなった庚午事変(こうごじへん/稲田騒動ともいわれ、吉永小百合主演の映画『北の零年』の話の基になっている)で有名だ。
「下の城」と呼ばれている蜂須賀氏が築いた山麓の城は消滅し、そのあとに市立淡路文化史料館が建設された。城をイメージした3階建て(写真3)。1階の大展示室や歴史展示室では、淡路のだんじりや人形浄瑠璃の人形などを展示、庚午事変の紹介や稲田家伝来の鎧(よろい)などの歴史資料も並べられている。
洲本市立淡路文化史料館(0799・24・3331)。入館料一般400円、大高生250円、中小生100円。月曜と祝日の翌日は休館。