更新日:2006年11月13日
Vol.179:電車でぶらりと城下町・備中高梁へ
写真1 写真2 写真3 地図

与謝野寛の詠んだ山城

 姫路から電車に揺られること約2時間半。かつて備中の中心地として栄えた岡山県高梁市の国指定重要文化財・備中松山城(写真1)を訪ねた。
 JR備中高梁駅から市民が「おしろやま」と親しみを込めて呼ぶ臥牛山(がぎゅうざん)上のふいご峠まで、観光乗り合いタクシー(片道400円、30日まで)で約10分。城へはそこから歩いてさらに約20分。臥牛山の一角・小松山山頂(標高約430メートル)にある城は、創建時の天守閣が現存する全国12城の中で一番の高所にある。
 その情景を、昭和4年(1929年)に夫婦で訪れた与謝野寛が「松山の渓を埋むる朝霧にわが立つ城の四方しろくなる」と詠んだ。二の丸に歌碑がある。
 城の起源は鎌倉時代にさかのぼる。天和3年(1683年)に水谷(みずのや)勝宗が修築したという天守閣、その北にある二重櫓(やぐら)と三の平の土塀が現存。いずれも国の重要文化財に指定されている。それらを取り囲む本丸南御門などは平成9年(1997年)に復元された。材木は、山頂まで約800メートルのケーブルで運んだそうだ。ケーブルのない時代はどうだったのか。古人の苦労がしのばれる。
 白と黒のコントラストが美しい天守閣は二層二階。一層目には、戦国時代、籠城(ろうじょう)の際に城主が食事や暖房用に使ったという、板石造りの囲炉裏(0.91メートル×1.82メートル)がある。二層目の武者窓からは、山裾(すそ)に広がる城下町が展望できる。
 臥牛山のふもと・石火矢町には2軒の武家屋敷がある。200石前後の武士が住んでいた旧折井家では当時の生活ぶりを、隣の旧埴原家では火燈(かとう)窓が残る美しい付書院などが見られる。
 そこから徒歩約5分で、商家資料館・池上邸(写真2)へ。帳場やしょうゆ製造場の様子が再現されている。また、1区画は喫茶コーナー併設の「蓄音機の館」。好きなLPをかけてくれる。その柔らかな音に耳を傾けながらしばし休憩。
 最後は紺屋川美観地区(写真3)を通り、旧高梁尋常高等小学校の本館・郷土資料館へ。明治洋風建築内に、江戸−昭和の生活用具などの資料が並ぶ。2階はモミ材を使った桃山風の二重折上格天井の講堂。資料館の近くには藩校・有終館跡がある。教育熱心な土地柄だったことをしのばせる。

 備中松山城 大人300円、小中学生150円。午前9時−午後4時半(4−9月は午後5時半まで)。
 武家屋敷(旧折井家/旧埴原家)・池上邸・郷土資料館。3館共通入館券 大人700円、小・中学生350円。午前9時−午後5時。

※この記事は、朝日新聞読者にお届けしている「あいあいAI 」(播州)に掲載されたものの転載です。

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