更新日:2006年11月3日
Vol.178:秋の「たつの」でハイキング
写真1 写真2 写真3 地図

鶏籠山の古城跡を見る

 揖保川のほとりに落ち着いたたたずまいを見せる城下町・たつの市。穏やかな秋の陽気に誘われて、「鳥かごを伏せたような」と例えられる市のシンボル鶏籠山(けいろうざん)に登った。
 出発地点は龍野公園内の紅葉谷。取材した10月13日は、まだ青々としていたモミジも、秋が深まるこれからは急速に色づく。入り口から少し歩くと、野見宿禰(のみのすくね)神社(写真1)の参道に出る。約10分で市街地が一望できる展望台。神社へは背後の115段ほどの石段を登る。

 野見宿禰は故郷の出雲へ帰る途中、この地で病死したと伝えられる神話時代の相撲の祖。その死を悼んだ出雲の人々がやってきて、揖保川から手渡しに石を運んで墓を作ったといわれ、その様子「野に立つ人」が「たつの」という地名の由来だという。
 神社の建立は明治末と新しいが、石扉には宿禰に縁のある出雲大社千家氏の家紋や、当時の横綱の名前を刻んだ玉垣もあり、宿禰を慕う人たちの気持ちが伝わってくる。
 紅葉谷を更に奥へ進むと、戦後は畑として利用されたという段々畑状の侍屋敷跡、番所跡がある。突き当たりの両見坂で道は3方向へ分かれ、その一つが標高218メートルの鶏籠山・龍野古城跡への入り口。ここからは舗装がなく、落ち葉を通じて伝わる土の感触が心地いい。

 時折、どんぐりの落ちる音や、目が合って驚く鹿の親子との出合いが、坂道の「しんどさ」を和らげてくれた。20分ほど歩くと山城を防御するための堀跡。続いて本丸跡へ向かう石段が見えてくる。石段を上がると、本丸の裏手にあったという、八幡宮跡への石畳が比較的良い状態で残っている。石畳に沿って歩くと、やっと本丸の石垣が登場(写真2)。ここで初めて城跡らしさを実感できた。本丸跡にはそれを示す石碑があるだけ。当時をしのばせる物は何もない。
 しかし歴史を振り返れば、赤松一族から小六の幼名で有名な蜂須賀正勝、福島正則らの武将らもこの地を踏んだ。まさに「兵(つわもの)どもが夢の跡」。
 本丸跡に続いて二の丸跡を過ぎ、ここからは少し急勾配(こうばい)。大手道があったとされる山道を一気に下ると、現在の龍野城、たつの市立龍野歴史文化資料館の裏手に出る。白い漆喰(しっくい)で美しく復元された塀や櫓(やぐら)と、さっき登った鶏籠山(写真3)の緑が青空を背景にくっきりとしたコントラストを見せていた。

※この記事は、朝日新聞読者にお届けしている「あいあいAI 」(播州)に掲載されたものの転載です。

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