「金物の町」三木市は鍛冶(かじ)職人の作る優れた大工道具から生み出された建築物が残っている。三木のよさを残そう会発行の「ふるさと三木 町並みウォッチングマップ―その二」を手に、「ガイド・ボランティアみき」の案内で旧街道を歩いた。
市街地中心部の本町2丁目交差点角に石の道標(写真1)が立つ。「右ひめぢ道(姫路街道)、左あかし道(明石街道)」と刻まれた文字が読める。旧街道の分岐点だ。
姫路街道は1580年、三木城を攻略、城主となった秀吉が毛利攻めの拠点、姫路城に3万の大軍を移動させるため旧道を改修して造ったとされる。江戸時代は、参勤交代の大名行列が通ったと伝えられ、今も街道沿いに残る町家には旧醤油(しょうゆ)屋の切り妻の瓦屋根や土蔵群、虫籠窓(むしこまど)、格子窓(こうしまど)、直角の鍵辻が往時をしのばす(写真2)。免租地のおかげで間口の大きな家が目立つのも三木の特徴だろうか。江戸時代末期から続く金物問屋「黒田清右衛門商店」のひさしには、看板として前挽鋸(写真3)が掲げられていた。
市街地のはずれで折り返し、明石街道へ。1619年、三木城主小笠原忠政が明石城へ移ったとき、三木城の古材や石材を明石へ運ぶ専用道路として作ったという。現在、市街地部分は商店街。面影はないが、わずかにうだつの上がった家が見られた。
両街道の間には100年以上にわたり、住民の社交場となっている清水の洗濯場(写真4)がある。三木山からわき出た水を利用した洗い場で、簡素なトタン屋根が雨や日差しをしのぐ。洗濯時間は午前7時半から午後7時半まで。伝言板には今も注意書きなどが書かれていた。
分岐点の道標が立つ近くには御切手会所として建てられた旧玉置家住宅が往時の記憶をそのままに姿をとどめている。屋根はむくりと呼ばれる緩やかな湾曲を見せる。国登録有形文化財に指定され、観光交流の拠点にする構想が練られているという。
(清元美子)